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    来た 見た 勝った 

     
    《 刺激的な世界でしか、まともな呼吸ができない人種たち 》
    とても珍しい、NR500 時代の写真が送られてきた。
    私も初めて目にする「集合写真」だ。
    当時のプロジェクトリーダーの福井さんはホンダの社長になり、尾熊さんも役員になって引退した。
    ROMA からは4ストロークの秀逸なメカ、カルロも参加した。
    SUGI さんを筆頭に、SHOWA のエンジニアリング、キャブレターのスぺシャリスト、それぞれの分野でTOPの人達が、
    『新技術で世界を獲る』ために集まった。
    刺激的な世界でしか、まともな呼吸ができない人種が、リスクスポーツの世界には大勢いる。
    厚さわずか1mmそこらの皮ツナギを羽織り、300kmを超えるスピードで、自分自身の確かさだけを頼りに疾走する、レーシングライダー。
    『極限状態』を一時間も維持しながら、生き永らえるテクニックと鉄の心臓をあわせ持つ必要がある。
    「感動を呼ぶドラマ」が出来ないワケがない。
    リスクスポーツの極限の、果ての果てに在るものに辿り着いたかどうかは、まだ分からない。

      

    タイムラインの写真 - 片山 敬済 Takazumi Katayama | Facebook

     

    昭和29年3月。

    みかん箱の上に立った男は、マン島GP(オートバイのワールドカップ相当)で勝つ事を宣言した。出場でなく勝つと宣言した。
    つまり世界に宣戦布告したのだ。
    これはやっとサッカーの普及しつつあった国が、ワールドカップでの優勝宣言したのに近い。

    そして数年後にそれを達成した。

     

    もちろんマン島チャレンジは苦難の連続だった。

    「東洋から来た猿どもにそんなマシンが作れるわけが無い。勝てるわけが無い。」

    そして負け続けた。殉職したライダーも出た。

    だが不屈の魂で3年後に勝った。

    レースで勝ったマシンは事後の再車検でエンジンに違反が無いか入念に検査される。分解されたレースに勝ったマシンのエンジンを見て人々は驚愕した。

    新聞にはこう記されていたという。

     

    そのエンジンはあまりにも精密でまるで時計のようだった。しかも独創的なアイデアに富んでいた。

     

    その男の会社は浜松のポンポン屋(元祖原動機つき自転車)から後に世界的自動車メーカーになった。ホンダの創始者の本田宗一郎。社内では親父と呼ばれていた。

    怒る時は音速より速くスパナが飛んできたという。つまりスパナが飛んできた後に怒鳴り声が飛んでくる。車やバイクは命を乗せて走るという、強い責任感からくる軍隊並みのタフな教育だ。

     

    「不幸にもわが社の車で亡くなったお客さまのために、俺が死んだら間違っても派手な葬式なんかあげるんじゃねえ」

    本田宗一郎はそんな男だった。

     

    その後ホンダはF1にも挑むことになる。

    そしてまたしても負け続けた。全力でつまり会社が潰れる勢いで人も金もつぎ込んだ。

    そしてついに勝った。

    後にホンダの社長にもなるF1チームリーダーの中村良夫は会社に電報を打った。

    "Veni,Vidi,Vici."

    ラテン語で「来た 見た 勝った」と。

    当時のエンジニアたちの気概のすごさを知らしめるエピソードのひとつである。

    戦争で夢敗れ辛酸を舐め、それでも立ち上がった男たち。飛行機がやりたくて東大の航空宇宙を出たが、戦争で負けた日本は航空機産業が禁止されていた。その想いをレーシングエンジンにぶつけた。ホンダにはその環境があり、それをリードする厳しい親父が居た。

    エンジニアリングは工学要素だけでなく、生物模倣や芸術要素、多元的な分析をするためには哲学的思考までも要求される。強いチームをつくるための強いだけでなく知力をも備えた武将的要素も必要だ。

    "Veni,Vidi,Vici."そんな古代ローマの名言が原語で出てきたのもうなづける。

    ワンピースの世界の現代とは全く異なる時代だったのだ。

     

    www.honda.co.jp

     

    そして技術的にはよりハードルの高いNRプロジェクトに挑んでいく。

    ホンダ・NR - Wikipedia

    入交昭一郎 - Wikipedia

    時代が異なれば最先端の航空機エンジニアになっていたであろう入交さんが、若い技術者の育成も含め、ホンダのやり方でマン島GP以来の世界GPに再度挑むことになった。

    ホンダはレースを走る実験室と捉え、チャレンジングな技術とエンジニア育成を究極のレベルで実現することをモットーとする。 もちろん無茶苦茶に厳しい。想像を絶する厳しさである。優秀だがやっかいな外国人もリードしなければならない。成果が出なければ地獄ブラックワークである。

     

    ・コンセプト

    世界GP500ccに4ストロークで勝つ。

    そのためには2ストロークの倍エンジンを回せば勝てる。

    簡単に説明すると2ストロークつまりエンジン1回転で1回爆発するのが2ストロークエンジン。

    4ストロークつまりエンジン2回転で1回爆発するのが4ストロークエンジン。

    ゆえに同じ回転数なら2ストロークのほうが馬力が出る。馬力というのは回転に比例する力なのです。もちろん一長一短ありますが。

     

    ・どうやって実現するか

    ルールでは500cc4気筒。2スト4スト問わず。他変速ギヤ数など。

    2ストローク4気筒に勝つためにエンジンを倍回す。それには多気筒化がマスト。それはマン島GP制覇で実証積み。

    4ストローク8気筒32バルブが最前提となる。

    だが4気筒までとルールに定められている。ここですごいのはホンダは2気筒をつなげてしまって8気筒相当の4気筒を思いついたこと。

    つまり2気筒、2つの円をつないで長円の気筒を作ってしまった。いわゆる「楕円ピストン」である。

     

    ・問題

    机上では成立するコンセプトだが実現化のハードルはかなり高い。

    楕円を実現するための設計技術はもちろん、精密な加工技術と、材料の性能を上げる材質、熱処理などの治金技術を筆頭に、壮絶な技術革新が要求された。

    一見すると気筒は二つの丸を直線でつないだだけのようなデザインに見えるが、均質でない熱膨張を想定して、複雑な曲線を描いていた。3次元設計の礎になったのは間違いないと予測できる。

    また2万回転を実現するために、特別に開発した特殊な材質の部品に高度な表面処理をしなければならない。

     

    ・結果と成果

    華々しく立派な結果は残せなかった。でも成果としてまたしてもホンダの恐ろしさを世界に知らしめた。ここで得られた技術革新はとても大きく、特許も多く取得した。

    そして人を鍛え育て上げた。

    一人の兵士が何人も将軍にまで上り詰めていったのはホンダだけではないだろうか。

    そして冒頭に紹介した偉大なるチャンピオン片山敬済さんのNR時代の写真。

     
    馬鹿野郎 舐めんなよ

    男たちはそんな顔をしている。

     

    f:id:pooteen:20110218133958j:plain

     

    来た、見た、勝った - Wikipedia


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    [ 2016/08/10 15:35 ] コラム | TB(0) | CM(-)

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